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599>泥乃布団
以下をもって、「異端児平井の独りBNはもう二度と」休止の弁明とし、本日までに書き溜めた記事を総掲載致します。御愛読、まことに有難うございました。最後くらい賀寿麻呂な記事にしようと思い、600回にはバターさんとじょんべりめのことを書きます。

9/8 【執着と、諦め】
 この機に話しておかなければならないことがある。話さないことと隠していることは、或いは同じ意味合いになる場合があると思うことから、オレは皆さんに隠し事をしている。その隠し事は少々バレ気味ではあるが、明示的にオレがここに記載することはこれまでしなかった。記載せぬべきだとの判断からそうしていた。が、その結果、記載せぬことによる憂いの蓄積を全てオレ一人で抱え込むことになり、必ずしもオレにとって良い結果をもたらしたとは言い難い状況になってしまった。一方で、記事のクヲリティーは許容範囲内に維持され、皆さんにある程度は愉しく読んで頂ける状態を保つこともできたのである。
 この話は良い話ではない。憂いの蓄積と申しているのに良い話のわけが無いのであって、皆さんにはこれから話す憂い事をオレがずっと抱えてきたということを知ってもらいたい。それだけでオレの気持ちは随分と楽になり、結果的に良い方向に向かうことを信じている。確かに、これから話す話題に関しては、ときおり仲の良い友人達(つまりは数人の読者)には酔ったときにポロリと話したかも知れないが、何も知らぬ読者が裏の真相を知らぬまま、単に記事上で起こる賀寿麻呂にだけ注意を払って記事を読み進めていくことは、限りなく筆者と読者の隔たりを大きくしてしまうことであり、それは避けたいのである。
 そろそろ本題に入ろうと思うのだが、なかなか言い出せなくてつまらぬことを徒然と書いてしまっているのである。もしも本題を書いてしまったなら、「しょーもない男やなぁ。」「死んでまえ!」「あばれはっちゃく!」「憤慨や!」「シャッとせえ!」などという、今まで優しかった読者からの卑下罵倒の反響巻き起こることが目に見えるようで怖いのである。と、ここまで言ったところで賢明な読者の皆様には本題が如何なる話題であるかが分かってしまうのである。
 賢明な読者の蔑むような目線を気にしながら、本題にはいることとしよう。そう、結局のところオレは彼女(この"彼女"は単なる三人称)のことが忘れられないのである。彼女のことを忘れるが為に多少の努力は惜しまなかった。切れ目さんと付き合おうと試み、積極的にgo.comへ参加し、ポンロクで友達を作ろうと出掛け、記事にできるような出来事をなるだけ増やして彼女のことを考える暇を無くしてしまおうとした。
 しかしながら、彼女への想いはおぞましいパウエルと共に訪れ、その度にオレは不快な気分になり、過去を思い出し、過去に戻りたいと思い、これは杞憂ではなく本当の憂いであってどうにもならないから日本酒を浴びてどこか違う世界に行ってしまいたいと思い、枕を涙で濡らし、さらに酒を煽り、二日酔いになり、それでも彼女が夢に登場するので安易平安に眠ることも許されず、彼女の夢を見た朝は決まって胸がモヤモヤし、それでも野暮用に出掛けるものだから暇な電車内で様々な想いを巡らしてしまい、野望場に到着する頃には精神状態は最下層まで低下しており、野暮用が終わればまたパウエルが待つ部屋に戻り、そんなことの繰り返しこそがまさにこの憂いなのである。
 なんと異端児は諦めの悪い人間かと思われるかも知れないが、相応の事態においてオレは通常諦めが良い。お金のこと、紛失物のこと(記憶含む)、呑み過ぎて女子の愛想を尽かされたこと、ヘンノッティンのこと、スポーツの勝ち負け、ロト6の一等が当たらない、土日に予定が無い等、ほとんどの場合にオレはその状況を甘んじて受け入れ、成功を求めてすがりつくような諦めの悪い行動を起こしたことは無いであろうと思われる。言わばオレは諦めの悪い人間ではなく、諦めの良い人間なのであって、極論を申せばオレの人生なぞは諦めの人生と言ってしまえるのである。諦めの人生とはなんと哀しい響きなんであろう。
 ところが、彼女のことにおいてはオレは御覧の通り諦めが相当悪い。一番諦めなければいけないことを諦めず、簡単に諦めていはいけないことに対しては諦めてしまうという見るも情けない人間がオレなのである。これは自分を卑下し過ぎで誇張した表現であるが、なにも嘘を言っているわけではなくこれこそが事実なのである。一番諦めなければいけないことを諦められないというのは執着に他ならない。執着しているのである。ストーカーまがいになり、それは更に悪い結果しかもたらさないことを知りながら、心の弱さや醜さが溢れ出してまだまだ執着してしまう。一時は諦めたように見せかけているが隙あらば再び執着してやろうということに秘めたる熱意を燃やしているのである。燃やして熱くなっているのは本人だけで、周りの目はどうかというと些か冷ややかなものであるが。そうだ、執着の人生なのである。
 諦めの人生であり執着の人生である。まったく逆の要素を兼ね備えながら、全く良いところが無い。これには自分でも驚きだ。すぐ諦めるくせに、執着している。なかなか諦めないけれど執着しない。どちらが良いかは一目瞭然である。このまま執着し続けていたらオレの人生そのものが終着してしまってもおかしくはないな。可笑しな話やで。
 これだけの彼女への執着や想いがありながら、連絡は一切していない。連絡を一切していないのに、こんな風であるということが問題なのかも知れないが、彼女もオレの連絡先を携帯電話から抹消したらしいので、もう連絡が来ることもないのである。それでもオレは彼女が好きで忘れられない。男女というものは出会い方やタイミングで安易に好きになってしまうものであるとも思うけれど、それは本当に好きであるということなのか疑問でもある。本質的に好きという意味が、出会い方やタイミングに左右されないものであるとしたならば、オレの彼女に対する気持ちは本質的に好きであるということに他ならない。逆に言えば、最近では出会い方やタイミング以前の問題でなかなか女子を好きにならなくなってしまい、本質的に好きになることなど遥か彼方の目標となってしまっているのである。
 体裁的に彼女を作ることを目標とし、そこまで超絶には愛し合ってはいないが付き合うのには十分なくらいの仲良し度合いだけを目標にして、それを一種の基準として人を好きになったかどうか判断し、本質的に好きになるかどうかなどには目を伏せて「ある程度の」結果と「いまよりはマシ」な幸せの状態だけを目指しているに過ぎないのである。それは哀しい。彼女に対する思いはそうではなく、出会い方が悪かろうがタイミングが最悪だろうが好きになり、なにより、あらゆる条件を加味しても好きといえるオレの精神状態がある。あるからどうだと言われればそれで御仕舞なんだけど、あるからどうにもならないのが本音ヤンカー、である。
 オレがこんな状態になってしまっているのも、全ては思い出に支配されていることが原因であって、これまでの人生で味わったことの無いステキな時間であり、逆にこれまで味わったことの無いようなテリブルな経験が大脳皮質にこびりついているのである。テリブルな思い出はステキな思い出をより一層輝かせる為のスパイスともなり、その微妙なサジ加減が絶妙すぎることもあって「なまじ」としか言いようのない中ぶらりんの世界を構成してしまっているのである。兎に角、なまじなのである。なまじとは「のに論」であって、がんばった"のに"ダメだった、大好きな"のに"付き合えない、彼氏がいる"のに"好きになった、ロト6を買った"のに"当たらなかった、オモシロくてカッコイイ"のに"モテない、ということなのである。
 これが「から論」であったなら、幾分かはサッパリしていたのかも知れないなぁなんて思う。彼氏がいた"から"全然話にならなかった、フラれた"から"諦めた、不細工だ"から"モテない、がんばらなかった"から"ダメだった。まさに因果応報の理にかなっている事例であると思う。大きな区切りでは「なまじ」ですら因果応報の理の中に位置づけされるのかも知れない。けれど、どうにも不可解且つ不条理且つ理不尽なことが存在し、ダメポryめのんめのんDEヤダモン発動二秒前的な、的なことに陥る。「のに論」と「から論」のどちらに判断できる事象が多いかで総合的な結論が導き出されるのであるとしたならば、彼女は「なまじ」のに論に当てはまるのであろう。こんなに否定的なことをいっぱい書いても、気持ちは変わらず、彼女のことが好きなんだけれどね。
 なんだか馬鹿馬鹿しくなってきた。当初は、これまで綴らなかった思いを読者に伝えるのが目的であったけど、どうにもなら無さ過ぎて書いても書いても虚しくなる。なんてオレの想い・言葉・文章は無力なんだ。無力やわ、無力。なんの影響も与えることができないし、つまりは結果は何も変わらない。この想いの行き場も無く、どうすることもできない状況なんだとしたら、オレはこれから先もずっと彼女への想いや過去の記憶を抱えたまま生きていくしか道は無い。それしか道が無いのだったら、それすらも甘んじて受け入れる以外にないのであって、どうやってうまく制御していくかしかないな。
 連絡を取りたいと思ったり、会いたいと思ったり、相手がどうしているか気になったり、思い出し泣きしたり、等の数々の衝動に駆られることはこれから先もあるだろう。そこで、その崖に飛び降りたくなるような衝動を如何に押さえて、崖に落ちてしまわないようにうまく対処することが必要だ。難しいけど。幸いにも、彼女の方から突如連絡が来て、不意に崖に突き落とされてしまうことももうなくなった。あとは自分自身の問題。話がまとまりかけているところだけど、また話を戻すよ。つまらないと思カモシレナイけど。
 彼女以上の人は、この先現れるのだろうか。。オレが彼女に対して「オレ、彼女できるかな…。」と言ったとき、彼女はオレの気持ちを察さなかったのか「できるやろ。」とぶっきらぼうに答えたけど、オレにとっては切実な問題。たとえ彼女ができたとしても、その彼女のことを彼女と愛し合った以上(若しくはそれ同等)に愛し合うことができないのであれば彼女ができても意味が無い。彼女を作るだけが本当の目的であれば、楽かもなぁ。。
 彼女を作るという本当の目的は、人生をより豊かにすることであって、お互いに愛し合うことを幸せと感じながら生きていくことである。そういう意味では、オレは彼女とは付き合ってなかったけれど、目的に添って生きていた時間が少しはあったと言える。後にも先にも、今のところあれが最後だけれど。こんな気持ちを持ち続けながらも記事に書けるような行動を起こし続け、何事も無かったように女子女子と中2のように騒いでいるオレは「まだ好きなのに、無理に次を探している」のに論者なのか、「忘れたいから、次に向かってがんばっている」から論者なのか、どちらなのだろうか。皆さんの目には、どう映っているんだろうか。。けど、オレには彼女しかいない。少なくとも今は。しかし、その彼女すらもういないのだ。脳髄を摘出したろかな。
 これ以上はもう、言葉では説明できない域に来ているのかも知れない。色々な思いはまだまだ溢れ出てくるものの、それを言葉に文章にすることができない。言葉にすれば嘘になり、確実に伝えることはできなくなる。ただ一つ言えることがあるとするならば、オレは彼女のことが好きであるということでしかない。理想だったし、理想なんだ。夢を見ているわけではないと思う。彼女をのことあまり知らないわけではないし、関係が薄かったとは到底思い得ないし、お互いに醜い部分も見せ合ったと思うし、それでも理想であると思う。上げればキリがないけど、彼女の全部が好きだ。他の誰よりも。唯一無二なんだ。この気持ちを今では伝えることもできず、伝えたとしても甚だ無力であることが、無念です。

9/10 【その破壊的な】
 上記に上げたような無残な思想がオレにはいつからかつきまとうようになり、或いはオレが「付き合いたい。」などとでも申せば「付き合いたいけど付き合えない。」とおっしゃり、「抱きたい。」とでも申せば「それはできない。」とおっしゃるわけで、ともすれば彼女は彼氏と"のうのうと"そういう行為に及んでおり羨ましくまた悔しくて情けなくて涙が出るがまた「彼氏だからそりゃぁそういうこともするよ。」などときっとおっしゃり、その言葉、いや言葉という五寸釘でオレの心の臓は抉り取られ脳髄は破壊され、それならば何故彼氏でもなく恋人でもないオレに対してこのような人と人とが愛し合い思いを通わせるような幻想にも似た状況を提供するのかと心苦しい感情が溢れてきた挙句、どうせ脳髄が破壊されるのであれば安酒でも煽って床に平伏せようかと思い酒を胃腸その他全ての臓器に満たそうと試みるが、更に脳髄は破壊されていくような錯覚に陥り、「嗚呼、アルカホーが脳細胞を破壊するというのはあながち嘘でもないな。」などと思った暁に、ついには踊り狂って狂者となってしまわんと思い立ち、ポンロクに出向いては何か楽しいことや破壊的に賀寿麻呂なことを探そうとするが、実際探してしまっているのは彼女に似た女子やそれに追随する過去の思い出であって、決してポンロクにいる軽い女子と一晩を過ごすようなことはせず、仮に一晩を過ごすようなことがあったとしても性病のリスクは耐え難く且つ何か"彼女"でもない彼女に対して浮気をしているような罪悪感に心を病まれるだろうからやはりやめておこうと我に返るが、それでも肉欲というものは限りなく、もし仮に、もし仮にそういう一夜のユキズリ的なことが発生した場合、彼女がそれを知ったらどう思うか、少しは嫉妬して欲しいなどと結局はそのことで頭がいっぱいになっているわけで、どうしようもなくオレはダメ、ダメとは言わないが悲惨に哀しい惨劇の中に身を投じた劇役者、ではなくただ単なるうだつの上がらぬ彼女もできぬ青年、悪く言えばもうおっさんであって、このまま「まぁ、死ぬわけでもないしこんなかんじでオッケーとしておきまひょか」的な事なかれ主義の中で誰にも必要とされず、一人の女子にすら愛されることは無く、時にユーモラスな言葉を発するもそれさえ虚しくなるような毎日を過ごし、特に日中は上記のような杞憂たらぬまさに憂い事に悩まされながらも、何事も無かったようにそれこそ事なかれ主義で時間だけを過ごし、更に宵ともなればまた酒を煽って脳髄を垂れ流しにするばかりではなく枕を涙で濡らし、彼女のことを想うばかりの人生なのである。

9/13 【泥ドロの布団】
 なぜに皆がそんなにも彼女のことを悪くおっしゃるのか理解し難く、それに皆が彼女のことを悪く言うことでオレの心は痛い。BLOGにてオレが元気にやっていたり時には賀寿麻呂的な(若しくは彼女のことから吹っ切れた)様子を御伝えする度に、読者からは「よろしやん(若しくは、よろしおめ)!」「イイ感じやなぁ!」「もっとやれ!」と賛美賞賛の声を頂き、それは同時におれ自身の自信になりモチベーションの維持にも深く関わっていた。それもあって、オレは賀寿麻呂なネタをできるだけ記載しようと努めた。だが一方で実は彼女のことがまだ心残りという気持ちがあった(むしろそちらの気持ちの方が大きかった)のが真実なのである。
 しかしながら、ひとたびオレが依然として彼女のことを考えていることを口にし記事にしたならば、読者から「シャッとせえ!」「次を見ろって!ロミルワ!」「諦めた方がエエって。」と怒号罵声を浴びせられるわけである。それが原因でオレは彼女のことに追随する心境或いは想いを記事にすることはできなくなり、本来はオレの心を映し出すはずのBLOGと、実際のオレの心境との間に乖離が生じ始めたのである。心境とBLOGに乖離が生じては何も意味が無いのである。意味がないばかりか、乖離しているにもかかわらず書き続けるということは、思いのほかオレの心にとって負担になった。本来であれば一番記載したいことや記載すべきことを記載せず、賀寿麻呂に満ち満ち溢れた感じのする希望的な内容だけを誤魔化し誤魔化し記載することは、したくはないのである。そしてBLOG休止に踏み切った。
 なぜこんな負の決意をしたかと申せば、それは泥の布団への回帰を甘んじて受け入れざるを得なかった現実。彼女との出来事があり、オレは毎夜のように枕を涙で濡らすようになり、ドロドロとした亜空間の中に身を委ねるようになり、枕はドロドロになり、布団はドロドロになり、何故にこんなにドロドロになるのかと思ったら、実は涙だと思っていたのはドロドロの泥でありドロドロ哀しさでありオレが虚しくも彼女を思いながらときには自慰行為に耽った後の切なきドロドロの残骸であったわけである。ドロドロの布団から解放されるべくオレはgo.comやポンロクに足を運び、成果が上げられぬことがあっても決死の覚悟でドロドロの布団に帰るようなことはせず、むしろ逆に積極的に行動を起こしてドロドロの布団からできるだけ離れた場所で生きていこうと努めたわけである。しかしながら、布団をドロドロのままにして出てきてしまった心残りか、「もしかしたらドロドロの布団は今頃発酵してしまってトロトロのヨーグルトになり、それはたいそう美味珍味であり世の中のありとあらゆる幸福希望を凌駕する錬金術的ヨーグルトであるかも知れない。」などと思い、そう思うとドロドロドロの布団の元にどうしても帰りたくなる衝動があったが、それでもまだオレはドロドロの布団を顧みることなしに前に向かって進み続けているフリをした。フリであって実はドロドロの布団からほんの少しだけ離れたところで足踏みをしていたのである。
 またときには「オレには今、何も無い、何故に何も無いのだろうか、それはドロドロの布団の中に何か大切なもののような「何か」を忘れてきたからかも知れない。それを取り戻すことができればドロドロの布団を綺麗に洗濯できるばかりか、世の中で一般的に言われているの幸福希望喜びなどの人間が最も欲するものの全てを掌握することができるのかも知れないのであるからして、今すぐにでもドロドロの布団の中に潜り、口の中がドロだらけになり、目の中からドロが泥泥と噴出するような状態にまでなったとしても、更にはドロドロが心にまで侵入して元々オレの中にあるドロドロとその外部からのドロドロとが混ざり合ってオレ自体がドロドロになろうとも、その外部からのドロドロでさえ元々はオレの中から分泌されたものであるからして耐え難きをなんとか耐え、そのドロドロの布団の中で紛失してしまった「何か」を探し、見つけ出すことがオレの人生の目的に成り得るのではないか、いやむしろそうであるに違いない。ドロの中に回帰しよう。」と思うことがあり、BLOGとオレの心との乖離が大きくなるに連れて、そう思う頻度は高くなったのである。そしてドロドロの布団の中に帰ることを決めた。

9/15 【増幅器】
 そのなんだまぁ、そのあれだ。既にBLOGを終了する理由や何やらかんたらなどのネガティブな話は、上記にて書き尽くしたかも知れないのだが、オレの中から溢れ出す想いや訴えかけは依然留まることを知らず、まさに断末魔という程の勢いで毎日のように心を悩ませる要因となっている。それにしても、一昨日の【泥ドロの布団】は我ながらよく書けた作品であると感心だ。精神状態が極限だったに違いない。BLOG終了直前となってじょんべりめな話題など新たにカテゴリ化されるような出来事もあったものの、やはりオレの信念決意は揺らがぬものとなっており、非常に熱心にBLOGを応援してくれている読者には事前に今回の件を伝えていたこともあり、飄々と「やっぱりBLOGは続けまっさ!」などと言うつもりは無いのである。
 但し、600回でこのBLOGを閉鎖することは随分と前から決心していたことであり、その頃はまだ閉鎖するものの引越しをして別の場所に移転するつもりであったので、次の舞台となるBLOGの題名も既に決めてあった。それは「靱帯飛来とグラス一杯の賀寿麻呂」に他ならぬ。一日グラス一杯の賀寿麻呂を呑み乾す、そんな人生が続いていけばイイなという想いから付けられたこのネーミングも、今となってはもはや虚しいだけのものである、、うぐぐ。それにしても本当にしんどいんだ、出来事がさ、あってさ、つらくてさ、、マジデジマ。ダム崩壊。
 それに加えてオレも履きやから、薦められるがままに東京事変の新作DVDを買ってしまったものだから、それを夜な夜な見ては色々なこと(そう、椎名林檎が好きな彼女のこと)を思い出してしまい、居た堪れない気持ちになって涙で林檎changの姿は霞み、ヘッドフォンから聞こえてくる林檎changの声はもはやオレの涙を増幅させるオペアンプに成り果て、それはまるでドライアイスに水をぶっかけたときの煙のようにオレの目から液体は止め処なく流れ落ちる始末なのである。もうそうなったら、携帯電話を手に取り釦を押しかけては止め、それからまた釦を押しかけては止め、という理性と欲望の「自制心のジハード」が繰り広げられ、むぐぐぐと散々苦しんだ挙句には他の誰かにE-Mailや電話をしてみるという行為に及ぶのである。我慢の限界はどこだろう。結構頑張って我慢してたのになぁぁ…。

9/16 【労い】
 一度好きになった人を、好きじゃなくなるなんてことはあるのだろうか。愛していた人を憎むようになるようなことはあるのだろうか。もう白紙には戻れないんだと思う。脳髄も、精神も、感情も、既に侵食されてしまっているし、そもそも「最初で最後の」的に思ってしまっている自分もいるしさ。最初だからとか最後だからとかいうことはそこまで重要な意味を持つものでもないとは思うけれど、この約二年間でオレ自身の想いがどれだけ蓄積されてきたかを考えると、他の物事など然して大きなことではないくらいに思える程、侵食されている。この想いを断ち切るには、どうしたらイイのだろう。。現状が甘えているだけで、忘れなければならないことなのかも知れないし、想いを立ちきる必要がないのかも知れないし、もっと大きな意味で「どうしたらええんかわからへん」のであって、多少なりとも憂いを抱かずにはいられないのである。
 そうだ、長らくの間オレを見守ってくれたピカ中さんにも最後のご挨拶をしておかなければならない。最後の最後まで、オレに愛想を尽かさずにそれでいて甘やかさずにいてくれたピカ中さんに感謝します。今までの出来事の中の全ての選択をピカ中さんの言う通りにしておいたなら、今とは違った今が来ていたのかも知れないなぁなんて思う。それでもオレは後悔はしていない、好きなように選択肢を選んで今までやってきたんだから。時には読者の意見を如実に表現し、時には憤慨し、時には優しく、時にはデムパだったピカ中さん、おつかれさまでした&有難い。今では、その横柄な態度すら愛おしく思えるよ。

9/18 【式典】
 友人の結婚式の二次会に参加してきたのだ。オレにはこんな幸せな瞬間が来ないのかも知れないと思ったり、一番酷かったのは…彼女がオレ以外の人と結婚をして、とても幸せそうな顔をしているところを想像してしまったことである。たぶんオレはそんな場面に立ち会ったなら、到底耐えられなくなって眼を噛んで自害してしまうだろう。嗚呼、彼女の一番幸せな瞬間がオレにとって最も辛い瞬間だなんて、人生は残酷だ。彼女の為に、何も出来ないばかりか、彼女の幸せを祝福することすら苦痛になってしまうなんてさ。オレは死すべきだ。
 ビンゴGAMEで獲得したテンピュールの大きな枕すら、彼女と一緒に使うことは無いんだとか思って重荷になるし(実際、かさばるし重かった)、ダメポすぎる。可愛い子をみても「仲良くなれるはずないし、仲良くなったとしてもまたフラれたりして辛い想いをさせられるだけだ。」という発想の元、無理に声をかけるようなことはせず、PNとワインを呑み、それなりに楽しいからまぁ良しとしておきましょうや、といつものように場を盛り上げ、そんなことをしている時間であった。
 結婚式という晴れ舞台に、ずっとBNな気持ちのまま混ざることはできない。ただ、彼女の結婚式みたいなのを想像したら胸が張り裂けそうになったのは事実。それが意味するところは、オレなんかいない方が彼女は幸せになれるってことやし。結婚相手になる人が、「出会えて良かった人」ならば、オレはきっと「出会わなければ良かった人」に成り果ててしまうんだね。生きてる意味ね。オレにとって彼女は、、出会えて良かった人のはずです。

~本日のピカ中さん~
長っ!!

異端児平井


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断末魔の囁き | 【2006-09-24(Sun) 00:00:00】 | Trackback:(0) | Comments:(2)
593>詳細一行
 こんな更新もアヴァンギャルドかと思う。

~本日のピカ中さん~
withゴキブリ虫

異端児平井


断末魔の囁き | 【2006-09-13(Wed) 12:19:00】 | Trackback:(0) | Comments:(1)
592>影響範囲
 つまるところのないBLOGなんぞ早急に停止したい気持ちになっている。これまでオレの自己同一性と固く信じて疑わなかった所謂エンターテイナー性すら放棄し、はやくその強迫観念から解放されたいという考えすら生まれるに及んでいる。これまでの人生でそこまでさしたる出来事があったのかというとそうでもなく、自分にとっては大きな出来事というのは幾つかはあったものの普通の範囲内で生きていることに不満も不安も感じていた。それは間違いだ。このままエンターテイナー性を失った後のオレに果たして何が残るのかは想像の及ばぬところであるが、最悪ではなく普通以下な状態で生きていくにはきっと十分な人間であるからして、それを甘んじて受け入れえこれから先はギリギリ普通の範囲内と呼べないくらいの普通以下の状態をBASEにしていくしかないのだろう。
 それもこれも全部は何らかの自業自得であるし因果応報であるし、オレのよく言う大義名分だってどこかに潜んでいるかも知れないわけで、夜中にパウエルが来てオレに対してどうこうしたところで、誰の得でも誰の損でもなく、ただ単にそれはオレという一人の人間に内在するほかの人には全く関係の無い出来事であって、つまるところはこのBLOGですら読者はいれどまさにフィクション且つオレの脳内でしかなく、これまでのオレの心情や想いを綴ってきたことも、時にはフィクションでありながらも賀寿麻呂を記載してきたことも全ては無駄。無駄たる所以、停止したところでその停止するという行為はむしろ無駄を取り除くという意味では無駄ではなく有効であって、それと同じくしてオレが自ら自分のエンターテイナー性について取り除く行為を行ったところで、無駄ではなく有効なのではないかと思われて仕方がない。とはいえ、読者の皆さんには本当に申し訳ない気持ちでいっぱいなのも事実で、もはや読者という言葉は愚かであって、それはまさしくオレのお友達に対する卑劣な裏切り行為に等しいことをオレはしようとしているし、自分自身の期待や自信や希望やポジティブシンキングに対しても裏切り行為でもって憂さ晴らしを試みようとしているのである。本当に申し訳ない。
 が、こうするしかない。正直なところ、どうすればイイのか分からなくなり混乱も相まって自暴自棄的な行為をしようとしているのかも知れないけれど、楽しいときには笑い、哀しいときには泣き、ストライクからE-Mailが来ると返事を返し、布団に入ってから少しの間だけバターさんのことを考えたりしているのであって完全に異常になってしまったとは言い難く、なら不完全に異常になってしまったのかと言うと、むしろ「不完全に異常になる」ということの方が正常からかけ離れた印象もするし、兎に角今日は一文が長くなってしまって何が言いたいのか分からないけれど雰囲気なりフインキなりは感じ取ってもらえると思う。あと8回。

~本日のピカ中さん~
眠たいわ。

異端児平井


断末魔の囁き | 【2006-09-12(Tue) 12:41:00】 | Trackback:(0) | Comments:(1)
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